
CG: Stop! Persecution to me

『僕の解放運動』は日本社会から長期的・継続的に行われて来た『人権侵害』『迫害』からの解放を訴えている。
戦後、米国が日本統治を目的として始めたテレビ放送という新媒体を利用した国民を支配する仕掛けがあった。
冷戦時代に日本の共産化を防ぐ目的で、日本人の思想や趣向をコントロールするシステムとして考案された。
一人の男の子を主人公(生け贄)に仕立て上げて日本統治の中心に据え、社会をテレビ支配するシステムである。
テレビで放送されるあらゆる「番組」や「コマーシャル」で、この男の子をイメージ化する事を義務付けている。
テレビ空間の「お茶の間」で視聴者である国民が、同じストーリー展開で同じ価値観を共有する様に操作される。
この様にして、男の子を主人公とした「国民思想の一元管理」とも言うべき思想コントロールの方式になっていた。
男の子の意志などは全く関係ない。男の子は生活やプライバシーを晒し者にされ題材に使われた被害者であった。
その形態は殆ど「拉致被害者」と同じであった。国家による『人権侵害』や『迫害』に遭って来たと言ってよい。
国家の「生贄」として、全人生を犠牲にされて来たのである。民主主義国家に於いて「生贄」として存在したのだ。
番組MCが欠点を暗にイメージさせて嘲笑の対象にしたりする。これは学校の教師が主導する『虐め』の原型である。
『虐め』に参加する視聴者は優越感に浸る事が出来るだろう。一人だけ明日の無い障害物競走をさせられた気分だ。
人間はやがて年を取り寿命を迎える時が来る。「国民支配のシステム」を続けるにはその「後継者」が必要である。
その事を見越して、CIAによる裏工作で「後継者」をDNA創作させた。同情と支持を集める物語性も演出した。
国家事業として行って来たこの壮大なシステムには霞が関の関連官庁やその外郭の事業団体が関わっている。
そうした巨大になった組織や予算、職員の雇用を維持する為に、この(生贄の)システムは続ける必要があった。
最近では、このシステムをやり続ける為に「続けよう」「繋げよう」「未来へ」などとテレビで延々と流している。
「生贄」にされた男の子はその意思などは全く無視され、その人生の殆どを犠牲にさせられ続けて来たのである。
『世界人権宣言』の精神に基づき、この国家事業による『人権侵害』や『迫害』は直ちに停止されねばならない。
これまで行われて来た、こうした国家犯罪的「興行事業」の廃止と当該個人への『謝罪』と『解放』を要求している。

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