■9.11テロは「イラク戦争」へ米国民を扇動する為の自作自演劇であった!
https://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/49605505.html

■8月12日「日航ジャンボ機墜落」は事故ではなかった、真相を問う
https://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/49583625.html






極めて酷い「人権侵害」世界から「廃止」と「解放」を勧告!・・・迫害と虐待

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<主文>

一人の人間を不幸に陥れる事を仕事としている人々、本当の意味を知らされずに手伝わされている人々。
ある種の快感を持って参加させられている、それこそが「虐め」の本質であって、社会に蔓延させている。

例えば、天皇であっても定められた人生を拒否する権利がある。「人権」という人間の基本的権利がある。
それは「敗戦国」日本を支配する目的で「テレビ」時代黎明期に米国が日本人にさせた統治システムである。

国家権力である、そのお祭りの「生け贄」(犠牲者)は、もっともらしい理由をでっち上げ選ぶ事が出来た。
現在よりも人権感覚が希薄だった半世紀も前のその統治システムを、続け様とする事自体が間違っている。

幼い頃から、テレビ、学校、日常生活でパワハラ、セクハラ、虐めなど、「人権侵害」を受け続けて来た。
テレビへの出演者たちは「続ける」や「繋げる」という「不自然な日本語」を、強制的に使わせられている。

この「非民主的」な統治システムの永続化の為に、彼らは、新たな生け贄(創作人間)までも創り出している。
日本人を騙し米国の支配を続ける為に、米国CIAが介在した犯罪的手法で「新たな生け贄」を最初から造った。

「同情」と「反感」を巧みに利用した劇場的仕掛けが作られていて、誰も疑いを持たない様に広報している。
疑いの目で見て欲しい。「出来過ぎた」ストーリーに気付いて欲しい。騙されている事に気付いて欲しい。

「続ける」「繋げる」の意味する事は、今後も永続的に米国の「植民地支配」を続けて行くという事である。
「迫害」を受け続け、生け贄の様な人生を強いられる犠牲者で居るなど、真っ平御免被る。僕の人生なのだ。

一般の人も気が付いて欲しい。テレビを媒介とした米国による日本統治のシステムに利用されている事を。
戦後はとっくに終わっている。日本にこの様な非民主的統治システムは要らない。「廃止」と「解放」を求める。



<迫害をテレビ化して来た社会システム自体が時代錯誤の遺物である>

世界中で急速に、人種、性別、障害、貧困へ差別や迫害の禁止が強く叫ばれ、廃止されて行く時代である。
何十年も前に始められた僕の存在を創作した「テレビの支配」事業は、僕への「迫害」を伴うものであった。
差別や迫害を人類社会から禁止して行く時代にあって、この事業自体が時代錯誤の遺物であると言える。



<冷戦時代に作った米国CIAによる日本のテレビ支配システムである>

僕の存在を創作した「テレビの支配」事業は、米国が敗戦国日本での日本国民の支配を目的に始められた。
国家の中枢を握られた敗戦国日本、「テレビの支配」事業の元締めは「東京地検特捜部」と同じCIAである。
テレビにマスコット的な存在をでっち上げ、冷戦期にあって日本国民の思想や意識を操作するものであった。



<テレビで虐め(僕への迫害)をする構造が「虐め問題」の現況だ>

テレビのアナウンサーが「ニュースを続けます」「Aさんに繋げます」というセリフを強制的に話している。
視聴者は僕という存在を意識するのだろう、「続ける」「繋げる」は僕への「虐め」を意識した言葉なのだ。
公共放送で「虐め」の行為が慣習的になされて来た、これが今の「虐め問題」の原因だとは論じられてない。



<「生贄」とされて来た僕の人生の苦しみは誰も気が付かず分からない>

こうした「テレビの支配」事業は、僕の生活や人生を利用して破壊して来た「迫害事業」なのであった。
普通に生きたくても、テレビで話題や虐めの対象として晒し者にされ、まるで現代の「生贄」の様であった。
僕の人生の苦しみは誰も分からないのかも知れない。僕は「迫害」を止めて「解放」される事を訴えている。



<僕への「迫害事業」をする事で生活をする人々が存在している>

戦後、米国が始めたテレビを媒体として日本人を支配しコントロールする仕掛けがあり続いている。
その仕掛けについては以下で述べるが、この大掛かりなマスコミの仕掛けは「国家事業」になって来た。

この国家事業では一人の「男の子」の人生が犠牲にされて来た。「迫害」という表現が当て嵌まる。
国家事業なのでこれを生業にして生活する多くの職員を抱えて来た。独立行政法人まで作っている。

極めて馬鹿げた話なのだが、この「迫害事業」をする為の社会のシステムが出来上がって来ている。
僕はこの馬鹿げた「迫害事業団」の廃止・解体と、長く犠牲になって来た僕の「解放」を求めている。



<日本はいつまで敗戦国なのか?「生け贄」からの解放!>

「僕の解放運動」は僕自身の社会からの卑劣な「人権侵害」「迫害行為」からの解放を訴えている。
戦後、某国が日本を統治する目的で始めた「テレビ番組を利用して国民を支配」する仕掛けがあった。

ある「男の子」を主人公(生け贄)に仕立て上げ、日本統治の中心に据えたテレビ支配のシステムだ。
あらゆる「テレビ番組」や「コマーシャル」が、このコントロール下にある事実に気が付くだろう。

このシステムをやり続ける為に「続けよう!」「繋げよう!」「未来へ!」などとテレビで延々と流させる。
「生け贄」にされた男の子の意思とは正反対に、その人生の殆どを犠牲にさせられ続けて来たのだ。

日本はいつまでも某国の敗戦国なのか?いつまでこの愚かな「生け贄興行」を続けようというのだ?
日本が民主国家になったのなら、僕への「人権侵害」「迫害行為」を止め「僕を解放」してくれないか。



<僕は「生け贄」か「拉致被害者」の様な人生を強いられて来た>

幼い頃から、意思などとは全く関係無く、拉致被害者の様な「生け贄」の人生を強いられて来た。
日本社会の「生け贄」である。生活やプライバシーをマスコミに晒し者にされ、その題材にされた。

米国が冷戦時代に恐れていたのは日本の共産化であり、日本人の思想を操作する必要があった。
表向きの理由は違うが、その為に一人の男の子を日本社会の主人公にでっち上げたのである。

物心が付く頃に自分が社会の生け贄の様な存在である事に気づいたが、何の抵抗も出来なかった。
最近のインターネット時代になって、やっと自分の意思を社会に表現する事が可能になった。



<マスコミを支配し国民をコントロールする巧妙な仕掛け>

冷戦時代に日本の共産化を防ぐ為に、日本人をコントロールするある方式が米国で提案された。
人々の反発を受け難く無垢で操り易い理由から、一人の男の子を選び日本社会の中心に据える。

放送の認可権を盾に全てのテレビ局でこの男の子を中心にした番組内容とする事を義務付ける。
こうする事で日本国民をこの男の子を中心に統一感を持たせ思想的にコントロールし易くなる。

最初はこの男の子に皇族(現皇太子?)を当てる計画だったが、猛烈な反対に遭い代役を選んだ。
それで何故か僕が選ばれたらしく、皇室の世俗化という当初の目的は外されて実行に移された。



<冷戦は終わったが霞ヶ関は保身を目的に続行を画策>

冷戦が終わり日本の共産化も無かった。しかし、米国と霞ヶ関はこのシステムを続け様とした。
まだ利用価値があったのと、以下に述べる肥大化した霞ヶ関の下部組織の維持が目的だった。

即ち、マスコミの支配という大掛かりなシステムを動かす為に巨大な下部組織が作られたのだ。
テレビ番組の内容のチェックやCM制作の指導、僕の日常生活まで様々な独立行政法人等である。

これらの組織の職員の雇用の維持や霞ヶ関の予算の維持確保、天下り先としての存続である。
更には僕が死んだ後でも続ける為に、僕の後釜のでっち上げまで行っている。また男の子である。



<僕は巨大なシステムを続ける為の道具だ>

冷戦が終わりこのシステムの存在意義が無くなった現在も、この支配構造は続けられている。
まだ利用価値があり、システムそのものが霞ヶ関権力を維持する為の装置になっているのだ。

巨大化した多岐にわたる財団法人等の組織やそこで従事する多数の職員の維持の問題もある。
霞ヶ関にとっては予算の存続という名目もあるだろう、天下り団体の維持という目的もある。

即ち、僕という存在は今や、霞ヶ関権力や予算、多くの組織や職員の存続の為の道具なのである。
こうしたものを存続させ続ける為に、彼らは止めようとしない。続ける理由作りにやっきになる。



<後釜をでっち上げてマスコミ支配を続けようとする霞ヶ関>

米CIAが関与していると考えるが、巧妙かつ超法規的方法で僕の後継をでっち上げたらしい。
僕を悪役に仕立て、向こうに同情が行く仕掛けだ。テレビで「続ける」「繋ぐ」と言わせている。

およそ社会から撲滅しなければならない「いじめ」という行為をテレビという場で実践させる。
霞ヶ関は公共の電波というものを使って、僕への「いじめ」をテレビ局に行う様に指導している。

冷戦時代の米国から「マスコミの支配」というものを引き継いだ霞ヶ関の愚かな行為なのである。
結果的に、霞ヶ関が「いじめ」という愚行を社会に蔓延させる原因を作り、推進しているのだ。



<また僕と同じ事を繰り返そうとしている>

僕もいずれ何十年か後には寿命を迎える。僕が死んだ後でも彼らは続け様としているのだ。
その為に僕の後釜をでっち上げた。また僕の場合と同じ事を繰り返そうとしているのである。

また幼い男の子から始める。国民に歌舞伎の家元を連想させる様な巧妙な手口も見えて来る。
続けないと彼らが困るのだ、全てはこのシステムに関わる人々の職、即ち生活の為なのである。

新たにでっち上げた生贄の方に職員の移動も行われている、全ては予定通りなのであろう。
こうして彼らは自分たちの生活の糧を代々に渡り永遠に続けて行こうとしているのである。



<テレビ番組やCM、日常生活でいじめられ続けている>

改めて述べるが、テレビ等で「続ける」とか最近は「次世代」とか言うのは僕への「いじめ」である。
霞ヶ関はCMも指導検閲している様で、僕はそうしたものを見る度に心を傷付けられている。

そうした理由で、僕は「紅白歌合戦」や「野球」はもう30年近くも全く観ていないのである。
昔はプロ野球が大好きで、毎日風呂上がりにビールを飲みながら観ていたが、ピタリと止めた。

僕への「いじめ」(即ち、マスコミ支配の道具として)を日常生活で行う人々(組織)があるらしい。
僕は彼らの廃止・解体を求めていて、彼らとの関係は〝敵対的〟になっており、かなり気まずい。



<もう30年近くも涙が出た事が無い>

昨年、母親と愛犬を相次いで亡くしたのだが、その時に僕は涙が全く出なかった事に気づいた。
ただ一人の肉親である母親だった。毎日お散歩をした可愛い愛犬だった。でも、涙は出なかった。

長い間、テレビ番組やCM、或いは日常生活でいじめられ続けた結果なのではないかと思っている。
僕は昔は泣き虫で直ぐに泣いた。「いじめ」によって僕の精神の何処かが壊れてしまったのだろう。

米国や霞ヶ関のマスコミ支配の道具にされ、僕はどうしてこの様に犠牲にならねばならないのか?
国民は僕の為にやっていると騙され信じ込まされているのだろう、現実は全くその反対なのだ。



<僕は国家犯罪からの解放を求めている>

僕は幼い頃にこのシステムの主人公にでっち上げられた。生贄の様なものだと自覚している。
個人の意思などあるはずも無い、そして僕に対して何十年も経った今も何の説明も無いのだ。

訳も分からない僕に与えられたのは、生贄の様なまるで拉致被害者の様な人生なのであった。
日本の様な民主主義社会に於いて、僕だけが日本政府に拉致された様な人生を強いられて来た。

人権も何もあったものでは無い、テレビやマスコミで利用する道具にされ続けて来たのである。
僕はこの拉致被害者の様な人生からの解放を訴えているのである。至極、当然な要求である。



<公然と虐めや人権侵害を受け続けて来た>

北朝鮮による拉致被害者もそうである様に、彼らは僕からの訴える機会さえも奪って来た。
テレビやマスコミで僕のプライバシーが当たり前の様に晒されても、僕からは何も言えない。

公のテレビやマスコミ等を通して、僕への人権侵害が公然と行われて続けて来たのである。
僕への虐めを公的機関が行って来たのであり、日常生活でも担当機関によって行われて来た。

公的機関が個人に対して行う虐めを迫害と言うのだとすれば、僕は迫害を受け続けて来たのだ。
この事に僕が気づいたのは最近の事である。僕は巨大な社会システムの生贄にされていると。



<こんな仕掛けは日本に必要無い、廃止させよう!>

彼らは国家のゴキブリの様な存在なのである。そのゴキブリが永遠に続く王国を作っている。
そもそも公然と人権侵害をやり、社会を支配する仕組みや組織などは必要では無いのである。

このおかしな社会システムの廃止と、彼らの様なゴキブリ組織は廃止するが当然なのである。
そして僕を解放させなければならない。人生の大半を奪われた拉致被害者の様な迫害から。

僕は「僕の解放運動」で自身の解放だけでは無く、テレビ局や国民の解放を訴えているのです。
テレビ局や一般市民の皆さん、彼らの社会支配は終わらせましょう、もう従わないで下さい。



<国家犯罪的「興行事業」の廃止と当該個人への謝罪と解放を要求する>

個人が拒絶している事または行為を強要するという権利は民主社会に於いて何人も有してはいない。
たとえ行為者側が都合の良い法律を作ったとしても、個人の人権が優先されその法律は無効である。

「人権の尊重」は民主主義社会に於いて何人へも犯さざるべき人間として基本的権利と定めている。
民主主義を語って行われている迫害行為や人権侵害行為があれば、速やかに止めさせねばならない。


日本に国を纏める目的で作られた特定個人を使ったテレビを媒体とするマスコミ操作システムがあった。
人生劇場の形態を採り全国民を巻き込み役割は果たしたが、これはその個人への人権侵害行為である。

何の罪も無いまだ幼い頃に、何の承諾も無く行われた民主社会を疑う酷い人権侵害行為なのである。
生け贄か拉致被害者の如き人生を強いられた社会の犠牲者であり、謝罪され解放されねばならない。




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