32年前と同じ日時と航路で緊急事態・・・「日航機123便事件の真相」 |
8月12日は32年前の「日航機123便墜落」のあった日であり、同じ日時に同じ航路で緊急事態があった。
上昇中に機内の与圧低下が起こり、羽田に引き返し緊急着陸をしたという。乗客乗員に怪我などは無かった。
折しも、日航機123便墜落現場の御巣鷹山では慰霊祭が行われていたのであり、あの惨劇が脳裏に重なった。
32年前のあの日、日航機123便は強い衝撃の後、尾翼を失いダッチロール飛行の末に御巣鷹山に墜落した。
32年前のあの日、日航機123便は強い衝撃の後、尾翼を失いダッチロール飛行の末に御巣鷹山に墜落した。
筆者は以前に不可思議な日航機123便の墜落『真相を暴く「30年目の日航ジャンボ機墜落事故」』を書いた。
筆者の独自の視点でこの「事件」の真相に迫ってみたのであり、背景には「日米貿易摩擦」があったと考えた。
筆者の独自の視点でこの「事件」の真相に迫ってみたのであり、背景には「日米貿易摩擦」があったと考えた。
以下に、その記事を記載する。
真相を暴く「30年目の日航ジャンボ機墜落事故」 |
8月12日で30年目を迎える「日航ジャンボ機墜落事故」、未だに多くの疑念が燻り続けている。
事故機からの救難信号、生存者証言や機内から撮られた写真、墜落現場の特定と救助の遅れ等である。
1980年代前半に米国の「双子の赤字」と日本の「ハイテク景気」で日本の輸出経常黒字は増大した。
日本はGNPで米国を抜き世界1位になる勢いであり「戦争で負けたが経済では勝った」と言われた。
日本はGNPで米国を抜き世界1位になる勢いであり「戦争で負けたが経済では勝った」と言われた。
この為、レーガン政権は実質的に円高ドル安に誘導する「プラザ合意」に同意するよう日本に迫った。
当時の中曽根内閣は日本経済を大きく減速させる「プラザ合意」には同意しない姿勢を示していた。
当時の中曽根内閣は日本経済を大きく減速させる「プラザ合意」には同意しない姿勢を示していた。
「日航ジャンボ機墜落事故」はこうした中で起こり、その直後に突然日本政府は「プラザ合意」に同意した。
現在でもこの「プラザ合意」は米国の赤字解消の為の為替操作を容認した対米妥協策であったとされる。
現在でもこの「プラザ合意」は米国の赤字解消の為の為替操作を容認した対米妥協策であったとされる。
その後の日本は「バブル経済崩壊」と経済が低迷する「失われた20年」を迎える事になったのである。
「日航ジャンボ機墜落事故」は「プラザ合意」と「失われた20年」へ続く象徴的な出来事となった。
「日航ジャンボ機墜落事故」は「プラザ合意」と「失われた20年」へ続く象徴的な出来事となった。
墜落したJAL123便にはWindowsを上回るパソコンソフト「トロン」の開発者11名も搭乗していた。
日本は「トロン」を全てのパソコンへ採用と決めていたが、これも突然Windowsに変更されたのだ。
日本は「トロン」を全てのパソコンへ採用と決めていたが、これも突然Windowsに変更されたのだ。
JAL123便には他に「不二屋社長」や「ハウス食品社長」、有名歌手の「坂本九」らも搭乗していた。
不二屋とハウス食品は当時、「怪人21面相」から脅迫を受けていた事も経済界との関係を疑わせる。
不二屋とハウス食品は当時、「怪人21面相」から脅迫を受けていた事も経済界との関係を疑わせる。
「日航ジャンボ機墜落事故」を境に「プラザ合意」など日本政府の米国への対応が豹変したのであった。
それはまるで「軍事テロ」という脅迫を受けたかの様でもあった。そんな疑いを強く臭わすのである。
それはまるで「軍事テロ」という脅迫を受けたかの様でもあった。そんな疑いを強く臭わすのである。
以下に示す内容は、筆者が「日航ジャンボ機墜落事故」に関する情報を収集し独自に纏めたものである。
信用出来ると思われる事実で組み立てているが、筆者は某国による「軍事テロ」の疑いを強く持った。
信用出来ると思われる事実で組み立てているが、筆者は某国による「軍事テロ」の疑いを強く持った。
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【「日航ジャンボ機事故」の真相を考える】 |
<不可解なJAL123便墜落事故>
1985年8月12日、羽田を離陸したJAL123便が御巣鷹山に墜落するという事故があった。
事故直後から救助や報道に不可解な点が多く、30年目の現在も真相は解明されていない。
事故直後から救助や報道に不可解な点が多く、30年目の現在も真相は解明されていない。
救助隊が現地に到着したのは墜落から14時間後で、乗客・乗員525名の内、生存者は4名。
事故原因は、事故調査報告書によると与圧隔壁破裂で垂直尾翼が脱落した為なのだという。
事故原因は、事故調査報告書によると与圧隔壁破裂で垂直尾翼が脱落した為なのだという。
乗務員で助かった落合由美さんによると、与圧隔壁破裂による気圧変化は無かったとの事。
ボイスレコーダーが改竄せれて公表されるなど、墜落原因については疑いが持たれて来た。
ボイスレコーダーが改竄せれて公表されるなど、墜落原因については疑いが持たれて来た。
<緊急救難信号「スコーク77」を発信>
JAL123便は機体に大きな衝撃を感じた直後に、緊急救難信号「スコーク77」を発信。
「スコーク77」は「標的にされている」など軍関係との間で使われる類いの信号である。
「スコーク77」は「標的にされている」など軍関係との間で使われる類いの信号である。
<乗客がカメラで接近するミサイルを撮影>
乗客の小川さんが、持っていたカメラでJAL123便に右側から急接近する物体を撮影。
フィルムを現像して解析した結果、その物体がオレンジ色のミサイルである事が判明した。
フィルムを現像して解析した結果、その物体がオレンジ色のミサイルである事が判明した。
<JAL123便に当たったミサイルは自衛隊のものでは無い>
JAL123便の尾翼に命中したミサイルが「標的機」などの自衛隊ものだという見方がある。
確かに当時、現場には新造艦「まつゆき」や対艦ミサイルを開発中の航空機EC-1が居た。
確かに当時、現場には新造艦「まつゆき」や対艦ミサイルを開発中の航空機EC-1が居た。
しかし、「まつゆき」には「標的機」や対艦ミサイル(SSM-1)を誘導する装備が無いのだ。
EC-1がSSM-1を誘導していたとしても、対艦ミサイルを航空機に向けたりはしない。
EC-1がSSM-1を誘導していたとしても、対艦ミサイルを航空機に向けたりはしない。
<6~7時間後に現場に到着した大学生>
現地の大学生がオートバイで6~7時間後に到着、既に100名程の救助隊が居たと証言した。
彼らは暗闇の中で暗視ゴーグルを付け、山で活動し易い短靴を履き何やら作業をしていた。
彼らは暗闇の中で暗視ゴーグルを付け、山で活動し易い短靴を履き何やら作業をしていた。
救助活動をしている様には見えず、何か沢山の破片を上空のヘリに吊るして引き上げていた。
東洋人で日本語を話すのだが、この後に現場に来た自衛隊員とは装備などかなり違っていた。
東洋人で日本語を話すのだが、この後に現場に来た自衛隊員とは装備などかなり違っていた。
<救助に向かった自衛隊員の射殺事件>
「待機命令を無視して救助に向かった自衛隊員が射殺されました」(当時のNHKニュース)。
NHKではこの直ぐ後に「先程のニュースは誤報であるとの事です」と訂正を入れている。
NHKではこの直ぐ後に「先程のニュースは誤報であるとの事です」と訂正を入れている。
<現地人なら直ぐ分る墜落現場へ14時間も掛った救助隊>
御巣鷹山の上野村長黒沢丈夫氏は、自衛隊が現場を特定出来なかった点に疑問を呈した。
黒沢村長は元ゼロ戦パイロットで、墜落機を目撃し、当初から御巣鷹山だと言っていた。
黒沢村長は元ゼロ戦パイロットで、墜落機を目撃し、当初から御巣鷹山だと言っていた。
NHKの報道では墜落地点を長野県北相木村としていて、救助隊はそちらの方へ誘導された。
何故か故意に、御巣鷹山への救助隊の到着を遅らせた疑いがあると当時から言われていた。
何故か故意に、御巣鷹山への救助隊の到着を遅らせた疑いがあると当時から言われていた。
<墜落当初は少なくとも数十名が生存していた>
救助された川上慶子さんの証言では、最初は父親や妹などかなりの人が生きていたとされる。
客室乗務員の落合由美さんも、墜落直後にはあちこちて呻き声などが聞こえていたそうだ。
客室乗務員の落合由美さんも、墜落直後にはあちこちて呻き声などが聞こえていたそうだ。
先程の現場に早く着いた大学生も(6~7時間後)100人位の人が生存していたと証言している。
4名が救助された時、報道では7名救助とされたが残りの3名は何処かに消えてしまった。
4名が救助された時、報道では7名救助とされたが残りの3名は何処かに消えてしまった。
<黒焦げの異常な死体と燃えていない森林>
ばらばらの死体や黒焦げの死体で現場は戦場の様だったと、当時の新聞がその惨劇を伝える。
救助の現場で検視に当たっていた医師は、黒焦げの死体の焼け方が異常だったと証言する。
救助の現場で検視に当たっていた医師は、黒焦げの死体の焼け方が異常だったと証言する。
通常は歯など表面が焼けても、内部の肉などは残るものだと経験上から異常さを指摘する。
まるで火炎放射機で焼き尽くされたみたいに焼けた黒焦げ遺体の状況なのだとも語っている。
まるで火炎放射機で焼き尽くされたみたいに焼けた黒焦げ遺体の状況なのだとも語っている。
中でも、髙濵機長の遺体は酷く、僅かに歯が確認されただけで粉々に吹き飛んだのだという。
それから、黒焦げの遺体のそばの木々は燃えずに残っていて、人だけが焼かれたみたいだった。
それから、黒焦げの遺体のそばの木々は燃えずに残っていて、人だけが焼かれたみたいだった。
<OSソフト「トロン」の開発技術者11名が搭乗していた>
当時、日本はWindowsを上回る性能で無償のOSソフト「トロン」を開発し成功していた。
JAL123便にはこの主要な開発者(松下電器社員)11名が搭乗していて全員亡くなった。
JAL123便にはこの主要な開発者(松下電器社員)11名が搭乗していて全員亡くなった。
米国は日本にWindowsの導入を強く迫っていたが、中曽根内閣は「トロン」の採用を決めていた。
日本の家電メーカー11社は既に生産を開始するパソコンに「トロン」の採用を決めていた。
日本の家電メーカー11社は既に生産を開始するパソコンに「トロン」の採用を決めていた。
<当時の日本は経済力で米国を追い抜く勢いだった>
当時の日本は、自動車で米国を凌駕するなど、GNP1位の米国を追い抜く勢いであった。
この為、米国の自動車業界(多くは米国の軍産複合体)は苦境に陥り暴動を起こしていた。
この為、米国の自動車業界(多くは米国の軍産複合体)は苦境に陥り暴動を起こしていた。
米国は、国内産業を守る為に、円高に誘導する「プラザ合意」に同意する様に迫っていた。
中曽根内閣は「プラザ合意」に同意すると、日本経済が失速するので拒否する意向を示した。
中曽根内閣は「プラザ合意」に同意すると、日本経済が失速するので拒否する意向を示した。
<日航機事故の後、中曽根内閣は急に「プラザ合意」に同意した>
まるで信頼する親から往復ビンタでも喰らったかの様に、日航機事故の後に急に方針を転換。
中曽根内閣は「プラザ合意」に同意したのである。その後、日本経済は「バブル崩壊」となる。
中曽根内閣は「プラザ合意」に同意したのである。その後、日本経済は「バブル崩壊」となる。
<「トロン」を止め、Windowsの全面採用も決定>
Windowsは米国の国家戦略であった。中曽根内閣は「トロン」を止めWindowsを全面導入。
その後日本にWindowsが上陸し、殆どの家電メーカーでWindowsのパソコンを販売した。
その後日本にWindowsが上陸し、殆どの家電メーカーでWindowsのパソコンを販売した。
Windowsは日本での独占的採用で大成功したと言われている。これは間違いなく事実だろう。
もしも「トロン」が採用されていたなら、ビル・ゲイツ氏も億万長者になって居なかった筈。
もしも「トロン」が採用されていたなら、ビル・ゲイツ氏も億万長者になって居なかった筈。
<日航機事件の後、日本経済は低迷を続けている>
「日航機事件」という経済戦争で日本は米国に無条件降伏した。「バブルが崩壊」し現在に至る。
この事件の後、日本経済は不況のどん底を味わいGDPでも中国に抜かれ第3位に落ちた。
この事件の後、日本経済は不況のどん底を味わいGDPでも中国に抜かれ第3位に落ちた。
復活する日本経済「アベノミクス」を掲げた安倍政権だが、既にオバマ政権に睨まれている。
日米は強力な同盟国なのだがライバル同士でもある。互いに協調した発展をする必要がある。
日米は強力な同盟国なのだがライバル同士でもある。互いに協調した発展をする必要がある。
<日本のOSソフト「トロン」について紹介した記事>
■Windows Vista: http://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/10626985.html
■解明:「無修正女子アナ」量産の裏就活ルート | https://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/49229099.html |
■世界を支配する者と支配される人類の行方 | https://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/49200313.html |
■「人権問題」が叫ばれる現代、僕への「迫害」を止め「解放」しなさい! | https://blogs.yahoo.co.jp/ming_sunfield/49209898.html |
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