福田首相の突然の辞任劇

 9月1日夜、福田首相の突然の辞任が発表された。
 あまりの突然で、殆どの閣僚や自民党幹部たちも知らなかったようである。
 国民の多くも、昨年の安部前首相の突然の辞任に続いて「またか?」と驚きと共に呆れたという状況だった。
 自民党では、早速、総裁選挙を行うとしてその日程を発表した。
 だがこの日程、民主党の代表選出の日程にピッタリと重なっているではないか。
 僕はこの辺の自民党の戦略などを把握しきれなかったため、暫く、その成り行きを見守っていた。


<軽くなってしまった総理の椅子>

 それにしても、1年で一国の首相が二人も続けて辞任したというのは異常事態である。
 それも、どちらも内閣を改造し国会に臨むというその直前に「辞ァめた」なのである。
 無責任も甚だしいと言わざるを得ない。
 辞任の原因は、ねじれ国会、公明党の脅し、給油問題、民主党の追及などで、国会を乗り越えられないという閉塞感かららしい。

 1年という短期間に2度もの総理の「辞ァめた」辞任は、総理の椅子というものを「おサルの電車の運転手」ような軽いものに失墜させてしまったのではないだろうか。
 福田首相の辞任会見での「アナタとは違うんです」発言には、自ら言っていた国民目線とは懸け離れた、国民を見下したような傲慢さが見られたし、そして国民に対する謝罪などは一切無かった。
 この「おサルの電車の運転手」は、自衛隊高級幹部会同に出席しなかったし、ぶらさがりの記者会見も拒否している。
 彼は国防の「最高指揮官」という立場を認識していたのだろうか。幹部たちの士気も然る事ながら、万一の事態に「よきに計らえ」なのだろうか。少なくても、最高指揮官は失格である。

 しかし、福田首相辞任後の自民党の対応は実に素早いものがある。
 2回目ということもあるのか、早々と、次期総裁選を設定し、華やかな総裁候補たちの演出でメディアを独占している。
 こうしたメディアの宣伝効果の中、次の首相の人気を高めておいての解散・総選挙というシナリオが見えて来ている。
 出来過ぎていると思う。あの「おサルの電車の運転手」にはこのような知恵は涌かないだろう。

 僕が思うには、自民党の政策・選挙戦略なんかの専門機関が作成した分析やシナリオに乗っかっているような気がするのである。
 福田首相は自民党のトップであるから、それを読んでその筋書きに乗ったと見るべきであろう。


 <総裁選挙での政策論争>

 総裁選挙の公示の10日まで数日となった現在までに、麻生太郎幹事長、与謝野馨金融・経済財政政策担当大臣、石原伸晃元行政改革担当大臣、小池百合子元防衛大臣らが総裁候補として名乗りを挙げている。
 これまでの総裁選挙には見られない多彩な顔ぶれである。また、他にも立候補を検討している人もいるらしい。
 ただ、この中での本命は麻生太郎幹事長であって、他は、華やかな総裁選挙を演出するための対抗馬、大穴、紅一点のような気がしてならない。
 もしかしたら、自民党では麻生首相ならば小沢代表の民主党に勝てると分析しているのかも知れない。

 各総裁候補予定者はそれぞれ政策で違いがある。
 マスコミで賑やかに報じられているように、麻生太郎氏は自称経済通で財政出動積極派(ばら撒き派)、与謝野馨氏は増税による財政再建派、石原伸晃氏と小池百合子氏は上げ潮派である。
 今後、テレビや街頭などでそれぞれの政策論争が聞けるのであろう。

 自民党の中で、こうした開かれた政策論争が行われるということはいいことであると思う。
 それにしても、一つの政党の中で、これだけ大きな経済政策の違いがあるというのも不思議な気がしないでもない。

 兎に角、派手な総裁選挙になりそうな感じである。
 恐らく、小泉総裁の誕生と小泉郵政選挙での大勝の流れを意識した総裁選挙にしようとしていることは明白である。
 初の女性総裁候補というのも、派手な演出の一つである。
 ただ、同じ上げ潮派からは石原伸晃元氏という候補が入って2分することで、大本命の麻生太郎氏が敗れて小池百合子氏が勝つという番狂わせが起こるのを防いでいるような気もする。
 個人的には、先日の始球式、小池百合子氏はヤクルトではなくオリックスでやった方が良かったのではと思ったりもしている。


 <霞ヶ関、公務員制度改革>

 政策論争というと、経済政策だけが取り立たされているような気がする。
 「霞ヶ関、公務員制度改革」は何処へ行ったのだろうか。

 「霞ヶ関、公務員制度改革」とは端的に言えば、「天下り」や「箱物や道路のムダ」、「埋蔵金」などに関する財政の巨額のムダの問題である。
 経済政策も重要なのだが、こうした霞ヶ関の巨額のムダを改革する点についても政策論争をして欲しいものであると思うのである。
 こうした霞ヶ関改革や地方分権政策については、民主党が大改革を主張しているようである。

 財政出動積極派、財政再建派、上げ潮派は大きな政府と小さな政府で分けられるから、自動的に「霞ヶ関、公務員制度改革」も含んでいるなどと消極的に論じては欲しくない。
 自民党総裁選での主たる論争に「霞ヶ関、公務員制度改革」が含まれていないことで喜んでいるのは、その霞ヶ関にいる官僚たちであると思うのである。
 だから、是非とも自民党総裁選では、この「霞ヶ関、公務員制度改革」についても積極的に論じ合って欲しいと思うのである。


 <二大政党制の確立>

 自民党では今回の総裁選で、小泉郵政選挙でのメディア劇場を介した衆院選挙大勝利というのをイメージしていると述べた。
 これは、政権維持の危機に直面する度に幅広い政策や人材を有することで、一政党の中だけで政権交代を永続して行くという考え方に通じるものである。
 つまり、大政翼賛会的な政党の一党独裁政権が続くことになるのである。今は公明党との連立であるが基本的には大枠では同じである。

 今回のような「辞ァめた」辞任があった場合、二大政党制の国であったならば、もう一方の政党にそっくり政権が渡るのが普通であろう。
 事実、参院では与野党が逆転しているし、これが原因で政権運営が困難なわけである。
 政権与党の政策に対して、国民の民意で参院の逆転が起こった。これによって、政権運営が困難になったのである。
 「辞ァめた」は首相の解散権の行使によってなされるべきである。即ち、衆院の解散・総選挙である。
 それが首相の辞任という形での、同じ政党の中での首のすげ替えという単なる政策の変更をすることによって切り抜けようとしているのである。

 本来、政党とは政策集団な筈である。
 ある政策を実行しようとして、選挙で国民の支持を得て、政権を獲得するものではないだろうか。
 それが行き詰った時に、政策の転換までして政権を維持するというのはおかしいのではないかと思うのである。
 一つの政党にとって、政策がマニフェストが命であり、選挙での国民との約束、契約である筈である。

 先にも述べたが、自民党は、今回の総裁選でも明らかなように、経済政策一つを取ってしても、凄く違いの幅があり全てを含んでしまっているのである。
 これは政策集団というよりも「政権維持集団」という表現が適当ではないかと思う程である。
 勿論、一つの政党の中では微妙な政策の違いはあって当たり前である。
 しかし、和食、フレンチ、イタリアン、中華ぐらいの分類までは許されても、何でも有りの無国籍料理のデパートのような政策集団は有り得ないと考えるのである。

 僕には、今の日本には、常に政権の受け皿になるような政党が存在する「二大政党制」が必要であると考えるのである。
 首相の無責任な「辞ァめた」辞任があるのはこうした二大政党制が無いからであり、それがあれば、いつでも他党のシャドー・キャビネットが空白を作らずに政権を引き継げるのである。
 日本に、このような「二大政党制」の土壌が無いのは残念であると思うのである。

 僕が言いたいのは、日本のために「二大政党制」が必要だということなのである。
 そのためには、残念だが、今回は自民党から民主党への政権交代をさせることが望ましいと考える。
 「二大政党制」の可能性を持った民主党を今潰してしまったなら、自民党の一党独裁という、およそ民主的とは言えない未成熟な政治体制が今後長期に渡って存続してしまうことになる。
 猛烈な反対があるのかも知れないが、今日本の政治で必要なことは、政策(マニフェスト)で対峙する二大政党を創り上げることではないだろうか。

 民主党が政権を獲った場合、相反する政策を持った自民党は分裂するかも知れない。
 その後に、民主党も巻き込んで、政界が分裂と収れんを経て再編が起こって来るのだと思う。
 その時、政策で分けられる「二大政党制」が誕生するのだと考えるのである。
 これは、残念なのだが、自民党が勝った場合には絶対に起こらないのである。
 その場合、民主党は分裂し吸収されて、大政翼賛会的な一党独裁という古い自民党が残ることになるのである。

 「二大政党制」は他の少数の政党を切り捨てるものではない。三大政党でも良いのである。
 「二大政党制」へ政界を収れんさせるというのは、僕の個人的な意見である。
 反対の方が多いのかも知れない。
 しかし、今回のような「辞ァめた」無責任辞任を連続して出すような政治的土壌は変えなければならない。
 大政翼賛会的な一党独裁政治というものが、異常なものであって、およそ民主政治とは懸け離れていると考えるのである。
 純粋に、日本に健全な民主政治というものを創る必要があると考えているのである。