死ぬなら死んでみな

 ふっふっふっ、死ぬなら死んでみな。こっちは痛くも痒くもないさ。
 そんな彼らの薄ら笑い声が聞こえて来るような気がする。
 そんな連中なのだろう、奴らは。
 こんな連中が、僕を支配し管理し、僕に悪さをし続けて来たのか。

 奴らには、僕の人権も、人生も、命すらどうでもいい。
 日常の業務をこなしているだけなのだろう。
 何故、奴らはこんな活動し続けているのだろうか。
 僕に関する法律があるらしい。僕には秘密の。

 これを作った奴が憎い。
 そんなもの、廃止して、僕を解放して下さい。
 こんなこと、僕が死ぬまで続けるつもりなのか。
 僕が死ぬことでしか、終わらせられないのか。

 いったい、何の法律なのだ。
 そんなのもがあるから、僕は苦しんでいる。
 しかも、今や、僕をおとしめる為に活動しているかのようだ。
 奴らは、僕に対する、巨大な殺戮マシーンのようだよ。

 奴らは、僕を利用して、マスコミをコントロールでもしているのか。
 確かに、僕がブログを始めるまでは、そうだったのかも知れない。
 僕が直接書き込むブログ。その時、奴らの大本営発表は終わったのさ。
 奴らの情報操作の時代は終わったのだよ。真実が知れ渡る。

 長年に亘ってし続けて来た奴らの仕業。
 僕はそのいい犠牲にさせられて来たのだと思う。
 僕が、奴らの為に、人生で失って来たものはかなり大きい気がする。
 何しろ、小さい頃からずうっと、四六時中監視され、生活の全てを晒されて、そして悪さをされ続けて来たのだから。

 それが終わろうとするとき、奴らは、僕に謝罪をするどころか、勝手に死ねばいいと言うのか。
 現在の僕の、ボンクラな僕というものだけを見て、死ぬ価値しかないとでも言うのか。
 僕が、今、自分で死ぬことで、奴らの活動は終わる。
 しかし、奴らやそれを決めて来た奴らは、平然と生き残る。

 僕は、奴らに、僕の人生への謝罪と賠償を求めます。
 僕には、その権利があると思います。
 こんな僕のような、不幸な人生がありますか。
 しかも、国や社会全体でやって来たものではないですか。

 ある意味、薬害エイズやC型肝炎の訴訟なんかと同じものだと思います。
 僕が、失った人生を返して下さい。
 僕にきちんと謝罪して下さい。
 僕の法律を廃止して、僕を解放して下さい。

 でないと、僕は死を選びます。
 僕が自分で死ぬことで、奴らの活動を終わらせます。
 8月15日は終戦記念日です。北京五輪もやっています。総選挙も近いです。
 奴ら、否、君たちに、恨みを込めて死ぬしかありません。

 僕が死ぬ前に、どうか、僕を解放し、謝罪して下さい。
 文学賞とか学位だとかの、不名誉な名誉なんか要らないです。
 奴らの活動を正当化させるだけです。
 僕は、奴らから解放されて、せめて静かに余生を送りたいだけなのです。