CG : Jomon people (Japanese 10,000 years ago)
我々日本人の遠い祖先「縄文人」をCGで再現してみた。元としたのは学術的に再現された複願像である。
現代にも居そうな人相だ。顔のシミを除り髭を剃り髪を七三に分けてスーツ着たら、居そうなオジサン。
『縄文時代』は今、学術的にも注目されているそう。何と“世界最古の文明”なんだとか。信じられるかい?
1万4千年前から1万年も続いた文明だ。千年も続いたら長期な文明なのだろうけど、何と1万年なのだ。
『縄文時代』は考古学から“戦争や争い”の無かった時代ともされてる。どうやってそんな時代が続いた?
遺伝学的にも研究されていて“争いを起こさない遺伝子”を持っていたそう。現代の日本男性も持っている。
ところが、その後日本列島に渡来してきた『弥生人』(縄文人と大陸人の混血)や『古墳人』は違ってた。
特に『蒙古人』との混血とみられる『古墳人』は争いを好む民族だった。王が人民を支配する時代になる。
平和だった日本が戦争の絶えない時代に突入する。それが『戦国時代』だ。百年のも間殺し合いが続いた。
“気候変動”も原因で持続的寒冷化による食料の奪い合いでもあり『戦国時代』は“米の争奪戦”だった。
さて前置きが長くなってしまった。『縄文時代』は何故1万年もの間も“平和な時代”が続いたのだろう?
前文でも触れたが“自然との共生”と“平和の遺伝子”が要因ではなかったか。民主的社会が形成された。
『縄文時代』という1万年もの持続的社会は、現代人が学ぶべき点や参考にするべき点が多いのではないか。
“縄文遺跡”をみると、その集落のあった場所に特徴があった。水が豊富な川べりなのだが高台にあった。
『縄文時代』は現在よりも気候が“高温”だった時期が多かったとみられる。つまり激しい気候だった。
「暴風」「竜巻」「大雨」が頻繁に起こり、川は頻繁に「氾濫」し山が「崩落」しただろうと思われる。
だから縄文人は川べりでも“高台”に集落を作り生活していたのだろう。氾濫する川と共生をしていた。
頑丈な“高台”は「山崩れ」や「鉄砲水」の危険も無いのだ。1万年も続いた“縄文人”の知恵であった。
現代はというと「ダム」や「植林」などの“治水技術”によって人々は川べりや山の裾に住む様になった。
科学の進歩によって“自然との共生”が退化してしまった感もある。そして近年、自然災害が頻発してる。
『戦国時代』の持続的寒冷化の後、江戸初期を底にして気温の上昇が続いていて“異常気象”が頻発する。
自然は“治水技術”を超えてしまい、川は頻繁に「氾濫」し山が「崩落」して“大災害”が起こっている。
“床上浸水”の被害に遭った地域は今後、何度も繰り返して“床上浸水”の被害に遭う危険性があるのだ。
“防災”とは読んでの如く災害を防ぐ事だ。被災者を救援する事も大事だが災害が起こらない事が大事だ。
“治水技術”が間に合わない以上、都市の“高台への移転”は災害の原因を防ぐ為の有効な方策だと思う。
“縄文人の知恵”に立ち戻る必要がある。“異常気象”が頻発する現代の自然と“共生”してゆく時代だ。
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