過去の関連記事で訂正しなければならない事がある。下記過去記事の現在の伊達宗家の血筋に関してである。
第20代伊達綱村(政宗の孫)に子が無かった為、養嗣子を迎えた事からここで血脈が途絶えたと間違えた。
<思考散策>伊達家に真田信繫の血が入っているかの思索から ~自身のルーツについても言及~
養嗣子となった伊達吉村は政宗の次男で第2代仙台藩主の伊達忠宗の8男であり、政宗の直系の孫であった。
従って政宗の血筋は途絶えておらず、第38代伊達宗家には政宗公の血筋が受け継がれていると訂正します。
さて、伊達氏の様に繫栄した家系は多くの子孫を残している。お笑いタレントの「伊達みきお」さんも居る。
政宗公の子孫は宮城県を中心に直系なら数千人、「伊達みきお」さんなど傍系を入れる数万人も居るだろう。
上記の記事の中で、筆者が政宗公の直系の子孫ではないかと推理していた。一関藩主田村氏の流れを汲むと。
一関藩主田村氏は政宗の2男忠宗(2代仙台藩主)の3男宗良を祖とする。政宗の正室めご姫の血脈である。
めご姫は坂上田村麻呂の子孫である名門田村氏の出身。豊臣秀吉の東北仕置きで廃絶したが、めご姫が再興。
めご姫の遺言で伊達宗良が田村氏を継ぎ田村宗良となり岩沼藩主となったが、子の建顕が一関藩初代藩主に。
田村建顕は『伊達騒動』で改易となった伊達宗勝の後に一関藩主となった。『元禄赤穂事件』にも登場する。
「浅野内匠頭」が切腹したのが建顕が住む一関藩田村家藩邸であった。名君とされるが対応への批判もある。
明治維新で田村家は版籍奉還で宗家が子爵となったが、戦後の農地改革で多くの子孫は帰農し平民となった。
筆者の母方の祖母が田村姓で田村氏の血統と推理していた。母方の祖父の伊藤姓は宮城県の政界に多い姓だ。
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