CG : Mongol Invasion and the Warring States Period
まず、CGの解説から始めたい。日本史上に『元寇』という事件があった。「モンゴル帝国」の来襲である。
鎌倉時代の1274年と1281年の2度に亘り「モンゴル帝国」の大軍船団が博多へ上陸作戦を行った。
鎌倉幕府は海岸線を要塞化し応戦、「モンゴル軍」が台風と遭遇して多くの軍船が沈没などもし撃退に成功。
CGは左から防衛する「鎌倉武士」、その右側に上陸した「モンゴル兵士」と“謎の黒装束の人物”を描いた。
ここでの主題はこの“謎の黒装束の人物”であって、これは当時全世界で大流行した『ペスト』患者である。
この『ペスト』の起源は中国とされ『モンゴル帝国』の世界侵略によって全世界へ広がり蔓延したとされる。
日本は『モンゴル帝国』の侵略を逃れた事で『ペスト』の流入も防いだのであり『ペスト』は流行しなかった。
もしも『モンゴル帝国』の侵略を許したならば、他の国々と同様に『ペスト』で壊滅的な死者が出ただろう。
この史実は良かった事だけではなかったと筆者は考えている。この後、日本は『戦国時代』へと突入したのだ。
以前、『新説:戦国時代』という継続的な“寒冷化”で「米」を奪い合う時代になったという記事を書いた。
即ち、温暖化が続いた「平安時代」から“寒冷化”への“気候変動”が原因で『戦国時代』になったと説いた。
「平安時代」は継続的“温暖化”で食料(米)の収量が増え続け、人口も増えたが1000年頃に一変した。
当然、米の収量が急激に減り始めたのだ。村々で米蔵が襲われる様になり、農民が武装化し「武士」が登場。
その後も“寒冷化”が続いた事で「武士」はその強さを表す単位が“何万石”という様に「米」を巡り争った。
地球規模での継続的な“寒冷化”は日本だけではなく、世界中がそうだったが『ペスト』がそれを解決した。
つまり、『ペスト』で壊滅的な人口の減少が起こりこれによって中国や西洋で“戦国時代”は起こらなかった。
しかしながら、日本では違っていた。『元寇』での勝利で日本では『ペスト』の大流行は無かったのである。
日本だけが継続的“寒冷化”による“食料問題”が解決しなかった。この為『戦国時代』へ突入したのである。
以上が、筆者が考える“元寇と戦国時代”に関する仮説である。実証不要な程に論理的に成立してはいないか。
地球は西暦1000年頃から数百年間“寒冷化”を続けた。この事から歴史を見る事は“実に面白い”のである。
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