CG : Historical New Theory: Japan's Warring States Period
これは筆者が考える『戦国時代』の原因に関する“新説”である。何故、長い戦乱の世が起こり続いたか。
まず、上のCGの解説をしたい。武士(大将)が“椅子取りゲーム”をしている。その椅子とは“米”である。
知っての通り“椅子取りゲーム”とは、毎回毎回1個ずつ減って行く“椅子”を奪い合うゲームである。
『戦国時代』に於ける“椅子”とは食料(米)の事であり、即ちこれが減って行くと“奪い合い”が起こる。
『戦国時代』とは西暦1450年頃から1600年頃である。筆者は広義的に“武士の時代”と定義する。
つまり、武士が起こった1000年頃に始まり1600年頃まで続いたと考える。筆者の『戦国時代』だ。
ここでその時代の“気候変動”について考えたい。上の定義の『戦国時代』の前は『平安時代』である。
考古学的に『平安海進』と呼ばれた時代であり、継続的な“温暖化”によって海面が上昇を続けた時代だ。
“温暖化”によって海面が上昇をする理屈は、ご存じの通り、温暖化で海の氷が溶ける事が原因である。
即ち『平安時代』は継続的に平均気温が上昇を続けた時代なのである。視点を移すと今の時代に似ている。
こうした時代は普通に考えて、次第に農作物(主食の米)の生産量が増えて行くと考えられるのである。
食料が増えると人々の生活は安定し、食料の奪い合いなどは起こらず『平安時代』は平和な時代だった。
ところが、西暦1000年頃をピークとして“温暖化”が止まり、地球の気温上昇が止まったのである。
これを境に地球は“寒冷化”に転じたのであった。この寒冷化は継続的なもので1600年近くまで続く。
『平安時代』は食料が豊かになるにつれて人口も増えている。しかしここから食料が増えなくなったら?
人口の増加分を補う食料が無くなるのである。実はこ1000年頃には日本の各地で暴動が発生している。
各地で米蔵が襲われ強奪される事件が多発し出すのである。つまり飢えが原因で米の争奪騒動が多発する。
隣り村の米蔵を襲う為に農民が武装を始める。そして逆に自分たちの米蔵を守る為にも農民は武装する。
これが即ち『武士』の発生起源であると考える。そして、朝廷や貴族は米の収量が減って勢力を弱めた。
多くの米を奪って勢力を強めたのは『武士』であり、遂には朝廷から政権を奪い『鎌倉幕府』を開いた。
その後『武士』は世の中の“平和”を保とうとするが、気候の“寒冷化”は増々急激になり戦乱が起こる。
これが狭義の『戦国時代』であり応仁の乱で火蓋を切ったのだった。血で血を洗う米の奪い合いの時代だ。
戦国時代の武将の勢力を表す単位がある。それは“何万石”というものであって所有する米の量である。
これは“戦国武将が米を奪い合っていた”という事実を表しているのである。米やその領地を奪い合った。
この『戦国時代』は1600年頃まで続いた。これは“寒冷化が止まった”時期と一致しているのである。
即ち、寒冷化が止まり“米の収量の減少が止まった”のであった。これによって『戦国時代』も終わった。
『椅子取りゲーム』で考えよう。もしも椅子の数が減らなくなったら全員が座れゲームは終わるのである。
これと同じ様に、米の収量が減らなくなって『戦国時代』が終わったと考えられるのである。僕の新説だ。
人間の営みは温暖化や寒冷化など“気候変動”に大きく影響を受ける。『戦国時代』はまさにそれである。
『徳川家康』が戦国時代を終わらせたが、実は自然現象の“気候変動による必然”であったのかも知れない。
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