A Fir Tree

CG : A Fir Tree

 

 

『樅の木は残った』(山本周五郎・原作)の90年代の新春ドラマ(里見浩太朗・主演)を鑑賞した。

『樅の木は残った』は江戸初期に起こった『寛文事件』を描いている。NHK大河ドラマにもなっている。

 

『寛文事件』は仙台藩のお家騒動で、取潰しの危機に瀕した。仙台藩家老「原田甲斐」が逆賊とされた。

「山本周五郎」は史実を丹念に調べ「原田甲斐」が一身に汚名を着る事で仙台藩を救った功績を描いた。

 

仙台藩は62万石で加賀藩、薩摩藩に継ぐ3位の雄藩であった。幕府は仙台藩の取潰しを狙っていた。

藩祖「伊達政宗」が死去後の仙台藩主「伊達綱宗」に突然蟄居の命が幕府から下りこの事件が始まる。

 

この事件の首謀者は「伊達政宗」の子である一関・館主「伊達兵部」で、老中「酒井雅楽頭」と共謀。

「伊達兵部」は仙台藩を分割し30万石加増という密約を「酒井雅楽頭」から取り付けていたとされる。

 

「伊達綱宗」の蟄居も「伊達兵部」の幕府への讒言によるもので、藩主を継いだ幼君の後見役に就いた。

「伊達兵部」の陰謀に気付いた涌谷・館主「伊達安芸」はそれを食い止め様と幕府への直訴に踏み切る。

 

「原田甲斐」は船岡・館主で当時は家老であった。彼も役職柄その直訴の一行に加わり江戸へと赴いた。

この直訴では「伊達兵部」と「酒井雅楽頭」が交わした“密約書状”という動かぬ証拠が存在したのだ。

 

これを察知した「酒井雅楽頭」は場所を自身の屋敷に替え仙台藩の直訴出席者の殺害を企てたのだった。

この際、「原田甲斐」が乱心して「伊達安芸」など他の同伴人を殺害したというのが定説となっていた。

 

結果的には、この直訴によって仙台藩の取潰しは無く、首謀者「伊達兵部」は失脚して事件は落着した。

「原田甲斐」は汚名を歴史に残したが、これを覆し“名誉回復”させたのが『樅の木は残った』である。

 

「山本周五郎」は史実を調べ直して歴史を“再構築し、仙台藩を救ったのは「原田甲斐」だと結論した。

「原田甲斐」が恐れたのは“喧嘩両成敗”であった。自らが乱心者になる事で仙台藩の取潰しを防いだ。

 

当時は戦国の世の終焉からまだ日も浅く、殺戮の生死の際でこういう判断が出来る武士がまだ存在した。

「原田甲斐」を逆賊から英雄へと定説を覆した「山本周五郎」の代表作『樅の木は残った』に感動した。






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