
雲南の民族衣装
天皇家の起源の年代設定を「秦の始皇帝」の頃と推定したのは“紀元2700年”という歴史伝承からである。
「秦の始皇帝」と関りがあるが直接ではないと考えた。騎馬や弩など秦国の文化が伝わっていないからだ。
「秦の始皇帝」の命で“桃源郷”を探し行方を晦ました「お福」も候補としたが、同じ理由で否定された。
「秦の始皇帝」に追われた長江流域の稲作王族が「餅」「納豆「歌垣」の文化的共通性から最有力である。
長江流域に統一王朝が無かったかも知れず“稲作貴族”かも知れない。但し“貴人”でなければならない。
古代長江流域の文化が雲南地方に残っていると考えるが、貴人たちは上の写真の様な民族衣装を着ていた。
2700年前の日本は縄文時代で暮らしていたのは未開人。その海岸にある日突然、彼らが上陸したのである。
輝く冠を被り色彩豊かな衣装を着た一団が上陸した。それを見た縄文人には“宇宙人”にも見えただろう。
『天孫降臨』の瞬間であった。天から“神様”が舞い降りて来た。人々にはそれ程のインパクトがあった。
これが天皇家の起源であったと考えている。長い航海後だったが冠や正装は保管してあって着替えていた。
縄文人は戦闘的ではなかったと思う。彼らを貴人として迎え、中には『八咫烏』の様に仕える者も出た。
彼らは先進文化と何より“稲作”を伝えた。稲作は急速に広まり彼らは“王”となり“大王”となった。
これが筆者の描く『天孫降臨』の姿である。斯くして、この渡来人が“天皇家の始祖”になったと考える。
上陸地点が「日向」か「熊野」で「邪馬台国」の所在とも関係する。その後の『古墳人』の発端でもある。


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